彼と彼女が握ったもの

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仮面ライダーアマゾンズ

【感想】劇場版 仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判~生きろ!!~

 アマゾンプライム配信開始を機に始めた劇場版仮面ライダーアマゾンズ感想記事も、いよいよ今回でラストとなります。


スクリーンショット (6813)


 メインストリームである地上波TV放送のライダーとは違う、ネット配信版仮面ライダーとして息吹を吹き込まれたアマゾンズ。
 最後ノ審判は、その終章を飾るに相応しいダイナミックでエッジが全開に効いた怪作であり、醜さと美しさが隣り合わせである人の生死というシーズン1・2の精神をブレさせることなく引き継いでいた、というのが全体の印象です。
 戦闘におけるゴア描写も薄まるどころか過激さを増し、宗教系の児童養護施設のように見せかけてまさかの「アマゾン牧場」、人間がついに手を付けてしまった「人間に食われるための草食アマゾン畜産計画」…とやはりインパクトの強い設定や場面が展開されていましたね。
 やや物語の運び方には強引な部分(アマゾン畜産計画の実効性や仁さんの視力回復や御堂に捕らえられた経緯が全く不明)があったものの、シリーズ登場人物ほぼ全員のスタンスを尊重した見せ場だったり、その後が描かれていたので、終わりの物語として満足できる出来だったと思います。











 以下、あらすじを交えて各論に入っていきます。

 シーズン2から2年後、苛烈さを増す人間側の駆除によって、現存するアマゾンは水澤悠と鷹山仁の二人のみ、という状況から物語は始まります。
 4C黒崎隊から執拗な追撃を受けた悠は、自分を助けてくれる美月と共にとある村の「切子聖園」なる児童養護施設に身を寄せることになります。
 しかし、そこは児童養護施設などではなく、4C橘局長と通じた園長「御堂英之助」によって運営されていた「アマゾン牧場」であり、子供たちは政財界の有力者に食べられることを運命づけられた「草食のアマゾン」だったのです……。


 シーズン1では「勝手にアマゾンを生んだのに、勝手な理由で殺そう」とし、
シーズン2では溶原性細胞事件を象徴に「始めたことを、終わらせることは出来ない」という面が強調されていましたが、今作の「人間」は食料自給率向上のための秘策、誇るべき日本の新たな資源と称して「家畜化」を目論む……万物を科学力によって制御できるはずだ、と自らの英知を疑わない傲慢さを感じさせましたね。
 直接的言及は無く推測の域に留まるのですが、橘局長が計画を推進した背景は従来からの利益を重視するビジネスマン思考の延長線にあると同時に、千翼に重傷を負わされたことがアマゾンへの憎しみを高め、人間より下層の存在として「支配」したい欲があったのではないか?と考えてしまいます。
 
 計画を主導していたアマゾンネオアルファの変身者・御堂も、激戦を潜り抜けてきたレギュラーキャラたちに見劣りしない悪役を務め切っていましたね。
 普段は柔和な紳士で、服装が乱れると襟を正したり、変身の際はちゃんとスーツを脱ぐ、など演じられた姜暢雄さん(他特撮作品では忍風戦隊ハリケンジャーのクワガライジャー等を演じられています)のスマートなお顔立ちが活かされていたと思いますし、計画の失敗を悟った際の激昂やネオアルファのガトリングとチェーンソーを用いた残虐なファイトスタイルとのギャップも面白い。
またこちらも子細の言及はされませんでしたが恐らく彼は科学者で、「ココ(頭)を使うのが俺達人間だろ?」の発言から窺えるように、自分と人間の科学力に対する絶対の自信を持ち、アマゾンによる畜産を本気で人類の発展に寄与するもの、化学発展の歴史に名を刻むことと信じている節が見られます。
 また、人の側には一切の害を出してないことを強みのように語っており、生みだした責任を取るためアマゾンを殺すためのアマゾンとなった鷹山仁と対を為すもう一人のアルファ(ネオアルファ)を名乗るにはうってつけのキャラクターだったように思えます。
 しかし、その最期は呆気なく、その行動理念から「鷹山仁は人間を殺せない」と油断したのが災いし、惨殺されます。
自分と同じく「人のために戦っていた」だろうとの意識が強かったのでしょうし、「鷹山さん!」の叫びには確信した期待を漂わせていました。
 ただ、これまた説明のなかった話なのですが、御堂は仁さんと同じく「人間からアマゾン」になったという解釈で良いんでしょうかね?
 


 テーマ的にもまとまりのよい同時進行がされていて、
・死の恐怖から人間を食べてしまった施設の少女ムクことリスアマゾン(名前のモチーフは管理ナンバー69、だけでなく、無垢からも取られていると考えます)に「自分のために生きる」ことを説く悠。
・施設から脱走した子供達(アマゾン)に、拘束された駆除班&美月が「食うか食われるか以外の生き方」を気づかせる。

 と、悠(アマゾンとして生き続けた者)と駆除班・美月(アマゾンと身近に接し続けてきた人間)が今までの体験を踏まえて子供達の心に呼び掛けていく場面は、アマゾンズ最後の作品としてとても心に沁み込んできます。
特にムクの手を引く悠の走る姿は、今回直接的に存在が語られることのなかったシーズン2の千翼とイユの逃避行を意識した場面ではないか?と思います。
 
 しかし、運命は残酷なもので、後者は脱走した子供達を駆除班が保護出来たと思ったら黒崎隊とエンカウントし、なし崩しに戦闘へ突入。
 前者も、怒るネオアルファによって瀕死の重傷を負わされたムクは、殺されて終わるのではなく悠に「食われる(命の一部になる)」ことを望み、悠は葛藤しながらもその願いを叶えます……。

 その他登場人物だと、4Cの黒崎・札森コンビも悠や駆除班を阻む役どころでありながらも、らしさを見せていましたね。
特に黒崎隊長は、シーズン2最終回からすると「まだ駆除してたんだ」と少し意外に思いましたが、橘局長が黒幕であったことを知った際はきっちりと糾弾に赴いてましたし、局長の足を撃った際の「身の危険を感じたから、正当防衛」に彼のスタンスが込められていたのではないか?と(人間社会を安定させるために必要な事だと、"大人"として割り切っている証左)。
 また、今作は「人に尽すためのアマゾン家畜化」が主要素だったこともあってか、新たなる強い生態系の誕生を望んだ天条会長や、マッドサイエンティストとして悠の安全を願う水澤令華らの別の黒幕については結局、お咎めがありませんでした。清算を求められた橘局長とは好対照でしたね。
 


 本作の大一番はやはり、水澤悠と鷹山仁による最後の戦いでしょう。
創造神として捉えられ、草食アマゾン誕生にまたもや利用されていた仁さんの登場はやや説明不足で、子供達の境遇に葛藤し続け物語の進行役を担った悠と比較すると唐突感が否めませんでしたが、彼が出てくるとやはりアマゾンズを観ているなぁと血の匂いが鼻孔を突き、良い緊張感を与えてくれます。
 特に復活直後の悠との揉み合いはお互い生身であるにも関わらず、椅子で殴る、首筋に噛み付く、椅子の足を突き刺す、頭突き、とやりたい放題の血みどろバイオレンス。
まさに殺し合い。

 そして、いよいよ互いに変身して決着を付けようとするのが映画のクライマックスなのですが、やってくれましたねぇ……それまでは御堂が敵役として完結してもおかしくない話運びだったのですが、前述したように仁さんは人間である御堂を殺害し、悠は守りたかったムクを食らいます。
 守るべき対象だった人間を殺すことで線引きを逸脱し、誰も食らわないアマゾンが初めて他者を食らってしまった……
 主人公たちがこれまでの物語で守り抜いてきたポリシーを破る、禁忌を犯すという最大の矛盾を提供してきたこの瞬間、頭を鈍器で殴られたような衝撃、心の中へ瞬時に山積されていく湿気を吐き出したくなりました(気持ち悪いとかの吐き気ではなく)。
 
 生き抜くことが決して綺麗なだけでいられないことはそれまでのドラマの積み重ねで証明されていました。
しかし、自分が拠り所にしていた信条を反故にしてでも、踏み出さねばならない時もあるのだと教えられた気がします。
 生きるに綺麗も汚いもない、いやそもそも悠と仁さんが掲げていたものが総じてエゴイズムから来ていたのだとするならば、正当性を語ること自体が野暮だったのかもしれません。

 壮烈な死闘の末、仁さんは息絶え、悠が生き残るという審判が下されるのですが、どうも仁さんはこの結末を望んでいたのではないか?と思えます。悠との押し問答では、アマゾンを殺し尽す自分の正しさよりも「決着をつけるしかない」「自分を殺さないといつまでもアマゾンは産まれ続ける」ということをしきりに主張しており、悠に本気になるよう促していました。
 「最後ノ審判」とはやはり、鷹山仁を突破せよとの意味合いだったのでしょうか?
 家族である七羽さんと千翼を殺す、開発に関わったアマゾンを殺す、殺し殺し殺し尽す宿命を自らに課し受け入れ続けた鷹山仁の物語に待ち受けるのもまた殺されて至る「死」であった……と頷けるものがあります。
 また余談ですが、施設の子供達(アマゾン)を追い詰め、抹殺の宣告をする彼はとても澄み、真摯な瞳で子供達を見据えていましたが、自分はシーズン1で見せた「アマゾンの生みの親として取る責任」、シーズン2の「千翼を父親として殺す決意」双方を想起しました。


 生き残った悠は、自ら湖に身を沈め、入水を図ります。
そこで彼に生きて欲しいと願い、「待ってるから」と告げる美月の幻影を見て、思い留まります。
度々、七羽さんの幻影を見ていた仁さんと同じように、彼が愛しい人のそれを観るとは興味深いですし、「覚醒」の記事内で
「あらゆる生命の源である神秘の場所・海で、生きる為に殺し合う」に大きな意味があったのではないか?と執筆したのですが、かつて生き続けることを宣言したのと同じ「水」のある場所で悠が「死を選択」しかけるというのは偶然ではないと思います(ほぼ同時に、志藤さんが切子聖園にて、仁さんのアマゾン細胞が収められていたカプセル容器を銃撃で破壊し、液体が弾け飛ぶ場面がありました。これもまた同じ水で掛けてるように思えます)。




 そして、このシーンには平成ライダー系譜のリスペクトが窺えます。
同様に「人と異形の間に立ち、葛藤した存在が入水する」というシーンが描かれた作品があるのです。
それは、
超光戦士シャンゼリオン38話「皇帝の握ったもの」で、自分を畏れぬ子供達から銃撃を食らい湖で果てる黒岩省吾であり、
仮面ライダーカブト46話で、自分が憎むべきワームであると知り海の中に消えていく神代剣です(剣は海から戻ってきますが、自分も含めてすべてのワームを倒すことを決意します)。

 上記の2話は平成仮面ライダーの重鎮、長石多可男監督と脚本・井上敏樹さんによるタッグであり、恐らくセルフオマージュの意図があったのではないか?と見ていますが、アマゾンズ側でこうなったのは単なる偶然だったのか、それともシャンゼリオン・カブト両作に関わった白倉プロデューサー、カブトを始め多くの平成ライダーを撮ってきた石田監督、いずれかにその意図があったのか…真偽は不明ですが、異形のあり方を問う作品繋がりで見逃せない一致だと個人的には捉えます。
また、黒岩と剣、共に人間の女性と恋仲になり、それが彼らの葛藤を深めていく要因となり、結局悲恋に終わってしまうのですが、美月が悠の死を引き留めたのはそれら2作品との大きな違いでもあります。
 
 生と死を隔てる象徴として三途の川は有名ですが、平成ライダーにおける水の境界線は「人と異形」を隔てるものであったのかもしれません。



 映画のラストで。悠の意思を継ぎ、そして悠が帰ってくる日を願う美月は切子聖園に残り、アマゾンである子供達を育てていくことを決め、美月の新たなる門出といつか来るかもしれない未来に駆除班の面々は笑顔を浮かべて去っていきます。
 怪我の後遺症で片足が不自由になった美月は、「生きて」と子供達に願い、食事を共にします。
食べること、が大きなテーマだった作品に終止符を打つに相応しい場面。
外からその様を見届けた悠は、ジャングレイダーに乗ってその場を走り去り……映画は終わります。


 ムクを食らい、仁さんを殺し……あまりにも多くの事が重なり、すぐには彼も美月の下に帰れない心情なのでしょう(美月が足を引きずらなければならなくなったのも巻き込まれた結果、と言えますし)。
ただし、生き続けているなら、そこに希望はある。
 映画序盤、施設の子供達と同様「僕も家族がいないから」と語った悠に、自分は家族と思われていないことに美月は悲しそうな顔をしていました。
 しかし、今、悠が帰ることを望む場所には、美月だけでなく子供達がいます。
悠、美月ともに血の繋がりはありませんが、「二人の子供たち」というメタファーで見ていいものと思われます。
 悠にとっての家族とは「生きる家族」ですが、前述したように仁さんは「死で自覚する家族」ですから、ある意味ここも対比の図式が成り立つのかもしれません。

 生き続ける悠はいつかこの「家族」の所に帰ってくるのかもしれない……そんな先の事を期待したくなる終わり方はちょっと意外であり、でもちょっと清々しい気分になってることは否定できない終わり方でした。

 エンドロールに流れる主題歌
「EAT,KILL ALL」も素晴らしい曲で、前2作のシリアス系の曲調とは違う、迸っていく生きる情熱、魂の鼓動が激しく打ち付けられていくアップテンポの曲調がとても頼もしく、こちらもアマゾンズの集大成だったなぁと感動しました。








 恐らく時間が経てば、また言いたいことも出てくるでしょうが、以上が今の自分にとっての仮面ライダーアマゾンズ評となります。 
 
 平成末期にその雄たけびを轟かせた、新領域の仮面ライダー、アマゾンズ……今現在も特撮界を震撼させる衝撃作として話題を集めていますが、ここから5年10年と経過し、その影響を受けた、精神を受け継いだクリエイターや作品が世に現れることでまた違った評価と称号を得るのだろう、と確信しています。それだけの実力と魅力はあったと思いますから。



次回も乞う、ご期待!


【感想】劇場版 仮面ライダーアマゾンズSeason2 輪廻~今、小林靖子を考える~

先週の「Season1覚醒」に続き、今回は「Season2 輪廻」の感想記事となります。

 覚醒と同じくこちらも総集編映画となっているのは周知の事と思いますが、やはり尺の事情でカットされているエピソードが多く、千翼の友人でありその危険性が発覚した後も彼とイユに関与し続ける長瀬、イユの父親・星埜教授が登場する空白の5年間、ゲストの溶原性細胞アマゾンたちに関する描写のほとんどがカットされており、鷹山仁、泉七羽、千翼の家族を中心とした悲劇の物語として編集されているといったところでしょうか。
 前作から引き継いだ要素に加えて、溶原性細胞のオリジナル、千翼の正体、鷹山仁の行方、といった謎解き要素が加わっており、またドラマ版は毎話主題歌「DIE SET DOWN」が流れると共に衝撃の展開で幕を閉じる所謂クリフハンガー方式のラストが見所でもあったため、やはり純粋にSeason2の物語を楽しむのなら、ドラマ版をおススメしたいところです。

 
 にしても、凍結処分に処される直前、感情を爆発させた結果覚醒した、千翼アマゾン態による殺戮のインパクトは何度見ても、身震いします……。
密室の環境下で最強最悪の怪物と間近に接する恐怖、恐慌状態に陥る隊員たち、パニック映画的文法と言うのでしょうか……映像として圧倒されることは多々あれど、「絶対に関わり合いになりたくない、画面の向こうで留まって欲しい光景」、仮面ライダーの映像を見てこのように感じることも久しい感覚でした。



 前作以上にゴア描写は過激さを増し、その都度最善を尽くそうとした人の行いがかえって事態を悪化させていく……人の無力を嘲笑うかのような物語は黙示録的と言っても遜色ありません。
 どれだけ諦めずに、信じるために想い続けても、この物語は奇跡の展開が起きないのは確かです。
しかし、決して救いにならなくても、願いや繋がりといったものを登場人物たちが全否定しない姿に涙が止まりませんでした。


 「自分が生きるだけで拡がり続ける罪」から逃れ得ぬとも、最期までイユとの未来を、自分が生きることを諦めなかった千翼。
 七羽さんを殺め、そして、千翼にもまた狩りの対象としてで無く、父親として手を下した仁さん。
 生きたいとただ純粋に願った千翼に感化された模様の黒崎さん。
 マモルを引き留められなかった自分達の『仲間』としての責任と本心を明かす旧駆除班。
 袂は分かったものの、五円玉の『絆』を忘れ去ることは出来なかったマモル。
 そして、戦うの選択肢を一度を選んだものの、悠に「生きて」と懇願し見逃した美月。


 
 悲劇と陰惨、救われない物語。
このアマゾンズという作品と脚本家である小林靖子さんをそのように論評する向きが強い、とネットの特撮界隈を見て感じますが、それでも人間あるいは人間として生きようと這いつくばる者たちから何も得られない生と死などないというメッセージ性、小林靖子という稀代の脚本家が放つ作家性の集大成がこのアマゾンズ Season2だと個人的に思います。

 千翼で描かれた、『一人ではどうすることも出来ない運命に抗い続ける物語』は、靖子さんが脚本家を志すきっかけとなった特警ウインスペクター25話「雨に泣くロボット」に通ずるものがあり、「侍戦隊シンケンジャー」の侍になることを定められたモヂカラの能力・血の宿命や「特命戦隊ゴーバスターズ」の13年に及ぶ運命の闘い」、「仮面ライダー電王」「未来戦隊タイムレンジャー」両作の時間と歴史を守る闘い、からもそのミームが見え隠れしています。
 
 また、(こちらは劇場版ではカットされていましたが)黒幕の一人天条会長が言い放った「人は始められることは出来ても、終わらせることは出来ないのだよ」との台詞は未来戦隊タイムレンジャーで浅見会長が言った「一度、権力争いに乗ったら、あとは最後まで戦い続けるしかない たった一人で」という冷徹な現実観、人間の無力感を提示しています。


 そして、死の瞬間が訪れるまで必死に生き抜こうとした、だから結果的に死んでしまいますが、彼は確かに「生きていた」という事実を視聴者の心へ深く刻み込んだ千翼の『生き様』は、「仮面ライダーオーズ」で映司に全てを託し、「お前達といる間にただのメダルの塊が死ぬとこまで来た。こんな面白い満足出来る事があるか?」と満足気に消滅したアンク「牙狼-GARO- -炎の刻印-」で敵のテーゼ"永遠"を否定した魔戒騎士が受け継ぐ血の宿命(さだめ)を彷彿とさせます。

 ウインスペクター以外全て、靖子さんがシリーズ構成を務められた作品であり、それら名作が彩った想いを随所に感じられるからこそ、アマゾンズSeason2はその集大成だと思います。

 
 生きていても、綺麗で報われる結果ばかりが与えられるとは限りません。
それでも、「負け続けまい」とする人々の姿にこそ至上の輝きが宿るのかもしれない……小林靖子脚本の魅力はそんな所にあるのではないか?と観続けてきた自分は考えますし、マモルの五円玉や千翼の死が直接的に描かれなかったのもそこに起因しているのではないか?と思う次第です。



 そして、もう一つ見えてきたもの、こちらはシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)と言うべきでしょうか。



物語の終盤、千翼を取り逃がし現場の撤収作業が始まる中、部下の札森に黒崎隊長が訊きます。


「お前、死にたくねえって思ったことあんだろ?」
「当然、毎日ですよ」
「……生きたいって思ったことあるか?」
「え?……おんなじでしょ」

 にべもない返答に黒崎隊長は笑い、(劇場版ではカットされていますが)愛用の銃を置き去りにして、その場を立ち去ります。

 生きること、食べること、、戦うこと、死ぬこと――その一切を現場で見つめ続けた彼を通して、「生死」として並べて語られるこの二つの概念が向かうベクトルは実は異なるのだと、言っているように思えます。
 

 そして……


 生きて、生きて、生き抜け!


 見覚えがある方もいらっしゃるでしょう。こちらは映画「仮面ライダー1号」のラストで提示された本郷猛、そして演じられた藤岡弘、さんからの、今を生きる全ての人々へ贈られたメッセージです。
 1号は脚本段階から関わっていた藤岡さんの想いが込められており、全編を通し、生命(命)・生きることの尊さを訴えかける内容となっていますが、本作の脚本を担当した靖子さんと並ぶ平成ライダーの名脚本家井上敏樹さんも1号関連企画である白倉伸一郎プロデューサーとのニコニコ生放送対談にて、今の若者は必死に生きていない、等の生命(いのち)に関する発言が多く見受けられ、井上さん自身も生きるというテーマに並々ならぬ想いがあるのだと自分は感じました(生放送は再視聴が出来ず、記憶も曖昧ですので、正確性に欠けますが大体こんなニュアンスだったと思います)。
 


 新たな平成ライダーの可能性を突き詰めたアマゾンズと原点回帰の道を一直線に往く1号。
 共に仮面ライダーから離れて久しい名脚本家、小林靖子井上敏樹
 
 本来交わらないはずの2つの作品、二人の脚本家が「生きる」という人類最大の命題に、平成末期というほぼ同じタイミングで挑んだという事実は偶然以上の何か、正にシンクロニシティを感じざるを得ません。



 やや小林靖子論を語りすぎた気もしますが、次回はいよいよ最終作「最期ノ審判」の感想となります。
こちらはまだ未見ですので、純粋に楽しみですね。


 次回も乞う、ご期待!

【感想】劇場版 仮面ライダーアマゾンズSeason1 覚醒【水槽から旅立つ日】

 紅葉が見頃の季節と思いきや、肌寒さを憶える気温の変化に冬の近さを感じる今日この頃。
皆さんも、体調管理にはお気を付けください。


 さて、Amazonプライム・ビデオで「仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判」を含む劇場版三作品が配信開始、プライム会員向けの見放題サービスでも見られるようになりました。

 最後ノ審判はまだ観ておらず、総集編の2作についても同様だったので、今回、視聴及び感想記事を投稿することにしました。
 出来ることなら、シーズン1と2はドラマシリーズの方が良い、カットし過ぎているとの話もチラホラ耳にしましたが、そういった部分を自分なりに確認、検証するのも良かろうということで視聴を決定しました。
 13話×2の全26話を振り返るとなったらそれなりに時間を用意する必要がありますし、劇場版三部作がずっと見放題にラインナップされているとも限りませんしね。

スクリーンショット (6713)

 

劇場版 仮面ライダーアマゾンズ Season1 覚醒
藤田富
2018-10-03



 
 それで93分全編を観終ってまず抱いた印象なのですが……

「思った以上にバッサリカットされてた……」

 噂には聞いていましたが、
悠をアマゾンだと知る美月、
野座間製薬に拘束される仁さん、
猟奇殺人犯との遭遇、
元駆除班・前原が変身する死せる生体兵器・アマゾンシグマとの激闘、
対立する遥と駆除班を五円玉の絆で取り持つマモル……

 これらエピソードは痕跡を感じさせないレベルで完全省略されており、最終盤の引き金を引くトラロックのエピソードが始まった時は困惑せざるを得ませんでしたね……。
 特に「死体のアマゾン」であるシグマは、シーズン2のイユへと繋がる導線であると同時に、『生態系』を築き上げていくアマゾンへ並々ならぬ執着を見せる(愛していると言ってもいい)天条会長・水澤本部長とビジネスマン的感覚での利益・合理性のみを追求した結果シグマを生み出した橘本部長の考え方の違い、『黒幕たちの生命倫理観の相克』が露わになるため、丸々欠落しているのはとても惜しいと思いました。
 
 


 しかし、水澤悠個人の物語、覚醒までの物語だと捉えて見ると、非常に要領よくまとまっていたように思い、前述のカット部分もある程度納得出来ました。

 ドラマ版の「群像劇」要素が、水澤悠・アマゾンオメガが自立するまでの「個人の物語」に変換されているような感覚、と言えばいいのでしょうか。

 天敵もいない、働かなくても餌は与えられる、平穏だけど、しかし生きている実感を持てない『水槽』から一歩踏み出した悠。
 「人を食べる怪物」であることを頑なに認めたくなかった悠が、「アマゾンを駆るアマゾン」の仁さんや駆除班、マモちゃん、それぞれの事情を抱えて『食べ続ける』アマゾンたちと、交流あるいは対立することによって、「人間でなければならない」という唯一の答えで構成されているのが世界だという思い込みを打ち砕かれ、それぞれの物差しを以て戦う現実こそが世界の真実だったと知る……シーズン1はそんな物語だったように思います。

 冒険譚・成長譚という評し方は、自分でもややおかしいかもと思いながらも、そのような爽やかさが、薫ってくる映画でした。視覚で血染めの惨劇を感じ取ろうとも、です。
 回を経るごとに増していく悠の逞しさは、天敵・鷹山仁の存在あればこそ……天敵の存在が生物の進化を促す自然界のシステムそのものの反映のようにも思えました。


 シーズン1・全13話は常に葛藤し続け、ポジションが安定しない悠の不安定さがウリであったと記憶していますが、1本の映画としてまとめた場合はもしかしたらくどく思えてしまうかもしれない。
そう考えると、人肉ハンバーグ・トラロックのエピソードに「悠の転機」を集約させたのは好判断だったのかもなぁと。
 

 また悠と対を成す、仁さんの場面は少なからず多からずといった印象でそれなりにキャラは立っているものの、プレイヤー(主人公)の一人というよりかは、悠の先導者であり敵対者としての側面が結果的に強調されてしまったかなと受け取りました。
 ただし、彼に待ち受ける運命の本題はシーズン2から壮烈さを極めていくので、そこでの計算も込みなのかもしれません。




 特に新規シーンがあったわけではありませんが、改めての視聴で「こういう意図があったのかな?」と気づく部分がいくつかありました。
 
 最終盤で生を訴える悠(オメガ)と狩りを譲らない仁さん(アルファ)、信念と生気全てがぶつかり合う、屈指の戦闘シーン。
 血飛沫飛び交う、戦いというよりも殺し合いの場面なのですが、その凄惨さとの間にギャップを生み出し画面をより上質なものへと引き上げているバックに広がる青い海。
  
 シーズン2でも海は印象的な場所として描かれますが、画的に映えるからなのかなーくらいにしか以前は思っていませんでした。 
 しかし、ふと「あらゆる生命の源である神秘の場所・海で、生きる為に殺し合う」
そのこと自体に意味を持たせたかったのかなと考えてしまいます。


 そして、主題歌「Aemour Zone」と共に流れるエンドロールへの入り方がドラマ版最終回と劇場版ラストで異なっており、
ドラマ版では駆除班がこれから狩り(アマゾンに関連する現状)に関わり続けることを示唆→エンドロール→悠「アマゾンッッ!!」と叫び、オメガに変身。

でしたが、

劇場版の編集では、悠が「アマゾンッッ!!」と変身コールを叫び、オメガに変身→エンドロールという順番に変更されています(駆除班の関わり続ける旨のシーンはカット)。


 余韻を感じる、という観点で観ると個人的には劇場版の方が気持ち良かった気がします。
「アマゾン」と声高に叫ぶのは変身のためのコールであると同時に「アマゾンとして生きているが自分が今ここにいる!!」と存在を声高に叫ぶための行為だったんじゃないかなと、あのラストシーンを見て、今回初めて思いました(仮面ライダーアマゾンに対するリスペクトも勿論あるでしょうけど)。

 前述しましたが、この映画を「水澤悠が自立するまでの物語」として見た場合、そして「Season2 輪廻」の予告映像が流れることも踏まえると、彼の存在主張がエンドロール前に描写されることは妥当ではないかなと(ドラマ版の編集だと、駆除班の物語が終わらないと同時に悠の物語も終わらない、という強調、群像劇の色を強く感じてしまうので)。


 アマゾンズを堪能するならドラマ版でどっぷりと浸かって欲しいと思いますが、アマゾンズという作品が持つエッセンスや縦軸の抽出は出来ているので、「最後ノ審判」前の復習には最適だと思いました。


 次回は「輪廻」の感想記事を書く予定ですが、グリッドマンを挟んでの早ければ1週間後かな……という予定です。




 次回も乞う、ご期待!!
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