始まりがあれば、終わりもいずれやって来る。
10月から放送開始し、当ブログで記事を上げ続けてきた「SSSS.GRIDMAN」もとうとう最終回を迎えました。
名残惜しさも感じつつ、感想を記載していきたいと思います。
怪獣化されたアカネと前線に立つアレクシスによって、アカネの創った世界が最大の危機を迎えます。
これにグリッドマン同盟、新世紀中学生、アンチはアカネの救出とそして、アカネが創ったこの世界を守るため最後の戦いへ挑むという最大のクライマックスが描かれます。
伏せられた謎が明かされ、数え切れないほどの見所を作り、そして25年に渡る歴史が最高のカタルシスを生む……「SSSS」が築いた物語と「電光超人」の完全続編要素のベストマッチ、その上手さに拍手を送りたくなる最終回でした。
これまでの11話でも度々驚かされてきたのに、新鮮な感動の尽きないこととと言ったら……。
グリッドマンの本来の姿はこれまで示唆されてきましたが、それが特撮版での姿であること、待ち望まれたその登場を盛り上げるのが特撮版での主題歌『夢のヒーロー』だとは……感涙ものです、血潮が滾る、最高の瞬間です。
この際、六花がアクセスコードを打ち込むのですが、モニターにSpecial Signature to Save a Soul(訳は、"魂を救うための特別なサイン")とのサインが表示され、恐らくアニメ版タイトル『SSSS』の意味が明かされています。
(このシークエンス、特撮版へのオマージュもそうですが、ヒーローが最終回にて真の姿を取り戻す+はっすの「昨日?ううん、もっと前から……(知っていた気がする)」の台詞から、ウルトラマンネクサス最終話、これまで自分が守った人々の声援を受け本来の姿を取り戻した『ウルトラマンノア』を思い出した人も多いはず)
激戦の中で多くの答えも提示されました。
アカネが創った世界の住人(六花たち)は「レプリコンポイド(特撮版に登場したコンピューターワールドの人型生命体コンポイドの複製と思われる)」アレクシス曰く"贋造物"であり、
無限の命を持つがために虚無感を覚えたアレクシスは自分の心・欲求を満たすため、アカネに怪獣を与えて世界の創造と破壊を繰り返させていたのだと。
長谷川脚本で描かれる敵は「有限の命に絶望し変質した」という経緯を踏んでる場合が多いのですが(グランスフィア、ダークルギエル等々)、不死の存在が立ちはだかるというのは少々意外でした。
しかし、不死ではない「有限の命」を尊み、作り物であっても確実に生きている命の可能性を信じるグリッドマン、「これが命ある者の力だ!!!!」との力強い言葉と共にアレクシスに勝利を収めるその姿には、やはり彼が特撮版から継続した、人間を肯定し守護し信じ続ける存在だったのだと確信させてくれるのです……余談ですけど、こういった『夢』を真摯に描いてくれるのが特撮作品の素晴らしさだと思っているので、今回は正に直球のそれが見られて本当に良かったなと咽び泣いております。
また、街の修復、そしてアカネを救うために放たれたフィクサービームの使い所も妙技です。グリッドマンが拠って立つ全てがアレクシスとの対比であり、彼の本来の役割は破壊を修復し救い出すためのヒーローだったのだと再確認させてくれますね。
裕太たちの呼び掛けで、閉ざしていた心のドアを開き、現実に向き合い帰ることを決断したアカネ。
特撮版ED「もっと君を知れば」が流れる中、散らかっていた部屋の片づけを六花と共に終え、彼女からパスケースを贈られます。
「どっか行っちゃえってこと?」とアカネは一瞬誤解するも、六花が即座に「どこへ行っても私と一緒」と訂正。
そして、彼女を想うアカネは神様にお願いします。
「私はアカネと一緒にいたい、どうかこの願いがずっと叶いませんように……」
アカネがこの世界にいるということは現実で苦しんでいる事と同義、だから惜しむ気持ちを押し殺してアカネとの別れを願ったんですね……。
裕太の肉体から分離したグリッドマンらと六花・内海の別れも描かれます。
二人に感謝を告げるグリッドマンは「私は本当に信頼する友達を持つことの大切さを改めて思い知った」と述べるのですが、これは特撮版最終回で直人たちに言った「本当に信頼を持つ友達を持つことこそが最強の武器だと学んだ」を意識した発言に聞こえ、グリッドマンというヒーローの人格に連続性があると僕たちも思い知るわけで……。
全てが終わり、アカネが創ったコンピューターワールドではいつも通りの日常が訪れます。
冬が訪れ、裕太の両親と思われる大人が帰国し、二代目アノシラスによって助けられたアンチが目覚めます。
この際、裕太がグリッドマンに選ばれた理由が示唆されていまして……それはグリッドマンが憑依する以前から「アカネを好きになる設定が組まれているのに、六花に好意を抱いていたから」、つまりバグを抱えていた異端だからってことだったんでしょうね。
それを六花へ愚直に明かしてしまうグリッドマンもらしいと言えばらしいし、好意がヒーローを宿したというのもロマンチックな理由付けだと思います。
そして、番組はアニメーションから一転、実写世界を映し出し、一人の女性が目覚め、OP冒頭のグリッドマンと同じように顔を上げて物語は終幕するのです。その傍らには、あのパスケースが……。
隔てられていても世界は続いていく、命は生き続けていく、誰もが前に進んでいく。
コンピューターワールドでアカネが創った世界とそこで生きる人々は「偽りの存在」ではなく、一個の実像・文明として承認され、アカネがいなくなっても営みが続いていくというのは「命を尊重する」作品のあり方からすると当然であり、これからも六花たちの人生は続いていくのだなと希望を感じます。とても美しい終わり方。
アカネの世界を語る際に「仮想世界」という単語を自分も積極的に使用してきたのですが、何処か現実世界のコピー・下位互換というイメージで語ってしまっていたのかなと今になって思うのですが、この終わり方あるいはコンピューターワールドに元から生息する生命体が描かれた『電光超人グリッドマン』の時代から既にコンピューターワールドも仮の世界ではなく「現実世界の一つ」として描かれていたんだなと気づきました。
ヴァーチャルな世界だから人間・新条アカネの思い通りに操作出来たのではなく、その根源はアレクシスが与えた歪んだ権能にあり、アカネから見れば『夢から現実へ覚めるための物語』であると同時に、作品全体を俯瞰すれば「それぞれの現実を生きるための物語」でもあったのだと言えます。
一方的に都合の良い世界はどこにも存在せず、暮らすべき現実は生きる存在それぞれに与えられている。居るべき場所で生きていこう、そういった『生』への強いメッセージが込められているように思います。
(余談ですが、仮想世界(Virtual World)という言葉の使われ方には混乱が生じているらしく、事実上・実質上というニュアンスの『virtual』を、仮の想定というニュアンスが強い日本語『仮想』として訳しているのが原因だとか)
アカネの世界を語る際に「仮想世界」という単語を自分も積極的に使用してきたのですが、何処か現実世界のコピー・下位互換というイメージで語ってしまっていたのかなと今になって思うのですが、この終わり方あるいはコンピューターワールドに元から生息する生命体が描かれた『電光超人グリッドマン』の時代から既にコンピューターワールドも仮の世界ではなく「現実世界の一つ」として描かれていたんだなと気づきました。
ヴァーチャルな世界だから人間・新条アカネの思い通りに操作出来たのではなく、その根源はアレクシスが与えた歪んだ権能にあり、アカネから見れば『夢から現実へ覚めるための物語』であると同時に、作品全体を俯瞰すれば「それぞれの現実を生きるための物語」でもあったのだと言えます。
一方的に都合の良い世界はどこにも存在せず、暮らすべき現実は生きる存在それぞれに与えられている。居るべき場所で生きていこう、そういった『生』への強いメッセージが込められているように思います。
(余談ですが、仮想世界(Virtual World)という言葉の使われ方には混乱が生じているらしく、事実上・実質上というニュアンスの『virtual』を、仮の想定というニュアンスが強い日本語『仮想』として訳しているのが原因だとか)
そして、アカネが世界に閉じ籠った「理由・何故?」については多く描かれず、彼女が逃避していたこと、グリッドマンたちが手を差し伸べたことで帰ることを決断した、の言及に留まりましたが、自分はそのバランスがむしろ良かったのだと思うんです。
個々の事情に深く踏み込む"サポート"ではなく、友達がいつも側にいる、それを知ることで人はどんな困難にもめげず立ち向かえる……と人間を信頼することがグリッドマン最大の武器であり、アカネを縛り付ける超常的存在アレクシスを捕まえる、それが彼にしか出来ない今回果たすべき使命だったのではないでしょうか。
以前、特撮版総括記事では「人間こそが真の主体であるべき」と描いたヒーロー像が平成ウルトラへと受け継がれていった、と書いたのですがその魂は今作アニメ版にも継承されていたのだと思います。
以前、特撮版総括記事では「人間こそが真の主体であるべき」と描いたヒーロー像が平成ウルトラへと受け継がれていった、と書いたのですがその魂は今作アニメ版にも継承されていたのだと思います。
実写で締めくくられたラストは、現実と夢の境界線を表現し、特撮作品として始まったグリッドマンとしてのあるべき終わり方と継続の証左であり、「夢のヒーロー」と共に歩んだ体験を視聴者と共有する、非常に興味深い終わり方でした。
現実世界のアカネが黒髪だったこととED映像ラストの背景が実写であることから、「ED映像にいる六花は現実世界のアカネなのではないか?」という推測も成り立つ気がします(アカネによって改変される前の光景、と予想していたのですが、どうもそうではなさそうなので)。
現実世界のアカネが黒髪だったこととED映像ラストの背景が実写であることから、「ED映像にいる六花は現実世界のアカネなのではないか?」という推測も成り立つ気がします(アカネによって改変される前の光景、と予想していたのですが、どうもそうではなさそうなので)。
アニメーションに実写シーンを挿入し異質な雰囲気を醸し出すという点で言えば、度々記事で言及している新世紀エヴァンゲリオンの劇場版からのオマージュも感じさせ、本作が多ジャンルに渡っての「総括」と「挑戦」を試みた意欲作であるとも言えるでしょう。
エヴァンゲリオンは個人的に思い入れのあるアニメでもありますしウルトラマンのオマージュもふんだんに盛り込まれている作品なので、機会があれば本作との共通項、セカイ系アニメと平成ウルトラが描いたもので思うことなどを記事にしてみたいと思いますが……今の所その予定は全くありません(笑)
最終話サブタイトル「覚醒」は1話の「覚・醒」とほぼ同じで、間の点が抜けてることが唯一の違いなのですが、これが表現する所は
・裕太とグリッドマンが記憶を取り戻し、一つの存在に戻ったことを意味する。
・フィクション然とした文字の形式からの変更、現実に向き合うことを決意したアカネの心情とシンクロ
なのかなと思っていますし、「夢から目覚める」ことそれ自体を指しているんでしょうね。
最後に、一人の特撮好き、アニメ好きとして、とても充実した1クールを過ごせたことへの感謝を製作陣の方々に贈りたいです。
今という現実を生きる人、あの日電光超人に憧れた人、ヒーローという夢を信じる人--全ての層に響く珠玉のメッセージを愛すべきキャラクター、迫力のバトルアクション、生命賛歌の物語に乗せて送り届けたこの作品がリスペクトされてまた新しい作品が生まれるかもしれない……そんな予感すらさせる、素晴らしい時間でした。
またいつか「アクセスフラッシュ」の言葉と共に覚醒出来る日を信じて……。次回も乞う、ご期待!!
(ブログにご意見・メッセージ等ございましたら、お気軽にご投稿ください)