先週の「Season1覚醒」に続き、今回は「Season2 輪廻」の感想記事となります。

 覚醒と同じくこちらも総集編映画となっているのは周知の事と思いますが、やはり尺の事情でカットされているエピソードが多く、千翼の友人でありその危険性が発覚した後も彼とイユに関与し続ける長瀬、イユの父親・星埜教授が登場する空白の5年間、ゲストの溶原性細胞アマゾンたちに関する描写のほとんどがカットされており、鷹山仁、泉七羽、千翼の家族を中心とした悲劇の物語として編集されているといったところでしょうか。
 前作から引き継いだ要素に加えて、溶原性細胞のオリジナル、千翼の正体、鷹山仁の行方、といった謎解き要素が加わっており、またドラマ版は毎話主題歌「DIE SET DOWN」が流れると共に衝撃の展開で幕を閉じる所謂クリフハンガー方式のラストが見所でもあったため、やはり純粋にSeason2の物語を楽しむのなら、ドラマ版をおススメしたいところです。

 
 にしても、凍結処分に処される直前、感情を爆発させた結果覚醒した、千翼アマゾン態による殺戮のインパクトは何度見ても、身震いします……。
密室の環境下で最強最悪の怪物と間近に接する恐怖、恐慌状態に陥る隊員たち、パニック映画的文法と言うのでしょうか……映像として圧倒されることは多々あれど、「絶対に関わり合いになりたくない、画面の向こうで留まって欲しい光景」、仮面ライダーの映像を見てこのように感じることも久しい感覚でした。



 前作以上にゴア描写は過激さを増し、その都度最善を尽くそうとした人の行いがかえって事態を悪化させていく……人の無力を嘲笑うかのような物語は黙示録的と言っても遜色ありません。
 どれだけ諦めずに、信じるために想い続けても、この物語は奇跡の展開が起きないのは確かです。
しかし、決して救いにならなくても、願いや繋がりといったものを登場人物たちが全否定しない姿に涙が止まりませんでした。


 「自分が生きるだけで拡がり続ける罪」から逃れ得ぬとも、最期までイユとの未来を、自分が生きることを諦めなかった千翼。
 七羽さんを殺め、そして、千翼にもまた狩りの対象としてで無く、父親として手を下した仁さん。
 生きたいとただ純粋に願った千翼に感化された模様の黒崎さん。
 マモルを引き留められなかった自分達の『仲間』としての責任と本心を明かす旧駆除班。
 袂は分かったものの、五円玉の『絆』を忘れ去ることは出来なかったマモル。
 そして、戦うの選択肢を一度を選んだものの、悠に「生きて」と懇願し見逃した美月。


 
 悲劇と陰惨、救われない物語。
このアマゾンズという作品と脚本家である小林靖子さんをそのように論評する向きが強い、とネットの特撮界隈を見て感じますが、それでも人間あるいは人間として生きようと這いつくばる者たちから何も得られない生と死などないというメッセージ性、小林靖子という稀代の脚本家が放つ作家性の集大成がこのアマゾンズ Season2だと個人的に思います。

 千翼で描かれた、『一人ではどうすることも出来ない運命に抗い続ける物語』は、靖子さんが脚本家を志すきっかけとなった特警ウインスペクター25話「雨に泣くロボット」に通ずるものがあり、「侍戦隊シンケンジャー」の侍になることを定められたモヂカラの能力・血の宿命や「特命戦隊ゴーバスターズ」の13年に及ぶ運命の闘い」、「仮面ライダー電王」「未来戦隊タイムレンジャー」両作の時間と歴史を守る闘い、からもそのミームが見え隠れしています。
 
 また、(こちらは劇場版ではカットされていましたが)黒幕の一人天条会長が言い放った「人は始められることは出来ても、終わらせることは出来ないのだよ」との台詞は未来戦隊タイムレンジャーで浅見会長が言った「一度、権力争いに乗ったら、あとは最後まで戦い続けるしかない たった一人で」という冷徹な現実観、人間の無力感を提示しています。


 そして、死の瞬間が訪れるまで必死に生き抜こうとした、だから結果的に死んでしまいますが、彼は確かに「生きていた」という事実を視聴者の心へ深く刻み込んだ千翼の『生き様』は、「仮面ライダーオーズ」で映司に全てを託し、「お前達といる間にただのメダルの塊が死ぬとこまで来た。こんな面白い満足出来る事があるか?」と満足気に消滅したアンク「牙狼-GARO- -炎の刻印-」で敵のテーゼ"永遠"を否定した魔戒騎士が受け継ぐ血の宿命(さだめ)を彷彿とさせます。

 ウインスペクター以外全て、靖子さんがシリーズ構成を務められた作品であり、それら名作が彩った想いを随所に感じられるからこそ、アマゾンズSeason2はその集大成だと思います。

 
 生きていても、綺麗で報われる結果ばかりが与えられるとは限りません。
それでも、「負け続けまい」とする人々の姿にこそ至上の輝きが宿るのかもしれない……小林靖子脚本の魅力はそんな所にあるのではないか?と観続けてきた自分は考えますし、マモルの五円玉や千翼の死が直接的に描かれなかったのもそこに起因しているのではないか?と思う次第です。



 そして、もう一つ見えてきたもの、こちらはシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)と言うべきでしょうか。



物語の終盤、千翼を取り逃がし現場の撤収作業が始まる中、部下の札森に黒崎隊長が訊きます。


「お前、死にたくねえって思ったことあんだろ?」
「当然、毎日ですよ」
「……生きたいって思ったことあるか?」
「え?……おんなじでしょ」

 にべもない返答に黒崎隊長は笑い、(劇場版ではカットされていますが)愛用の銃を置き去りにして、その場を立ち去ります。

 生きること、食べること、、戦うこと、死ぬこと――その一切を現場で見つめ続けた彼を通して、「生死」として並べて語られるこの二つの概念が向かうベクトルは実は異なるのだと、言っているように思えます。
 

 そして……


 生きて、生きて、生き抜け!


 見覚えがある方もいらっしゃるでしょう。こちらは映画「仮面ライダー1号」のラストで提示された本郷猛、そして演じられた藤岡弘、さんからの、今を生きる全ての人々へ贈られたメッセージです。
 1号は脚本段階から関わっていた藤岡さんの想いが込められており、全編を通し、生命(命)・生きることの尊さを訴えかける内容となっていますが、本作の脚本を担当した靖子さんと並ぶ平成ライダーの名脚本家井上敏樹さんも1号関連企画である白倉伸一郎プロデューサーとのニコニコ生放送対談にて、今の若者は必死に生きていない、等の生命(いのち)に関する発言が多く見受けられ、井上さん自身も生きるというテーマに並々ならぬ想いがあるのだと自分は感じました(生放送は再視聴が出来ず、記憶も曖昧ですので、正確性に欠けますが大体こんなニュアンスだったと思います)。
 


 新たな平成ライダーの可能性を突き詰めたアマゾンズと原点回帰の道を一直線に往く1号。
 共に仮面ライダーから離れて久しい名脚本家、小林靖子井上敏樹
 
 本来交わらないはずの2つの作品、二人の脚本家が「生きる」という人類最大の命題に、平成末期というほぼ同じタイミングで挑んだという事実は偶然以上の何か、正にシンクロニシティを感じざるを得ません。



 やや小林靖子論を語りすぎた気もしますが、次回はいよいよ最終作「最期ノ審判」の感想となります。
こちらはまだ未見ですので、純粋に楽しみですね。


 次回も乞う、ご期待!