「君を退屈から救いに来たんだ」

 その歌詞通り、毎話毎話感想記事の書き甲斐があるSSSS.GRIDMANを見る毎週土曜日が楽しみになっております。拾いたいネタが多すぎるので、退屈解消どころか、やや忙しいような気もしますが(笑)


 「敗・北」というサブタイトルが示すように、アカネが生み出した強力な怪獣であり人間体も披露した『アンチ』にグリッドマン/裕太が敗れ、一気に絶望感が作品を支配するのか……と思いきや、サムライさんの仲間であるアシスト・ウェポン擬人化勢3人(名称が「新世紀中学生」に決定します)の集結、グリッドマンも無事復活しただけでなくマックスことバトルトラクトマックスと合体した新形態マックスグリッドマンの力によって見事な逆転を果たします。


 今、ヒーロー作品を見てるんだよなぁ……と心が感涙するカタルシスが味わえましたね。
裕太戦死か!?と同盟メンバーをぎくしゃくさせたかと思ったら、実は奇襲によるリベンジを目論んでいたサムライさんの判断で即時変身できるように待機していたというネタバラシには安堵やら呆れやら(笑)。
 加えて、グリッドマン同盟側の繊細な少年少女たちの改めて「仲間」であることを意識させる一連のやりとり、打倒グリッドマンのために生み出されたアンチの行方、などなどドラマも重厚かつ爽やかで手に汗握るものがありました。




「違うじゃん……解散は違うじゃん」



 「畏れ」と「優しさ」、前回2話で濃密に描かれた六花の人間性は敗北というシチュエーションでも
彼が帰ってくる場所としての同盟が必要だとの認識で奥深く描かれていましたし、オタクとして知識量が多い内海が自分をバカにしていると口走ってしまったりというのもリアルだったような気がします。
また、「怪獣の正体は、人間なのではないか?」とオタク的考察を披露し(影でアカネに嗤われる)、危機的状況下で六花と言い争いをするという形で内海のキャラも立っていました。
 裕太には披露出来た怪獣=人間?説を、六花の前では言い淀んでしまったのは、遠慮、裕太のように冗談として茶化せるような仲ではまだない、という意識の表れなんでしょうね。
 戦いの重みや自分だけを憶えている法則を感じる度に苦しむ女の子ですから、戦いの相手が同じ人間かもしれない、たとえそれが可能性の問題だとしても、聞いたらショックは計り知れませんよね……。
 
 
 特に刺さってきたのが、もしかしたら…を直視したくないがために、裕太の安否確認を避け続けた六花が裕太の携帯電話へ連絡することで彼の無事を知るシーン。
アンチとの邂逅で裕太からの着信を無視したことによる後悔へのリベンジでもありますし、1話のキーボードを通して六花と内海の「言葉」が伝わったことでグリッドマンが逆転勝利した構図の再来でもあるように思います。

 更に演出として"ニクい"なと感じたのがヴィットらが、六花・内海に投げかけた言葉です。



「"友達"なら本人に聞いたら、いいんじゃない?」
「聞くったって、どうやって」
「君は"友人"の事を初対面の他人に尋ねるのか?連絡手段ならいくらでもあるんじゃないのか?」



 グリッドマンは同盟はれっきとした仲間の繋がりである……新登場つまりは外側からやってきた者たちへ裕太・六花・内海の三人を「友人」という枠組みで語り、その言葉を受け「友達」として裕太の安否を確認する行動に移る……少年少女たちが、友情を自分達を繋ぐ者として認識すること・肯定することという流れが出来てるんですよね。

 1話にしろ、今回にしろ、「仲間からの声」が戦いの生命線、同盟の根幹であるというシンプルな着地が気持ちいいんですよね。

 また、前回サムライさんが「(助けることなら)出来る」と言ったのと同様、アシスト・ウェポン勢(新世紀中学生)は厳しくも的確で真心のあるアドバイスを送ってくれる人達だなと好感を抱きますし、「これからは共に戦おう」と言われた裕太の頼もしそうな顔がもう(六花ママは迷惑しそうですが)。




 この互いを助け合う繋がりと対比的に描かれたのが、創造主「アカネ」と作品(怪獣)「アンチ」です。
 象徴的なのは、グリッドマンに敗けたくせに、のこのこと家にやってきたアンチへ弁当を放り投げるアカネ、という場面。
「不出来な子供を愛せない毒親」というメタファーを感じさせますが、他にも関係の歪さを窺わせる描写は多いんですよね。


例えば、アンチがアカネ自宅の門前に立つシーンが計3回あるのですが、



・「頑張ってね」とアカネからコンビニ弁当を手渡される(1回目)=勝利への期待
・アカネとアレクシスは宅内で談笑するも、アンチは誰も出てこない門の前で立ち尽くしたまま(2回目)=役目を果たしたから放置。
・敗北したアンチへ感情のままにアカネが弁当をぶつける。アンチの顔は弁当の中身と雨で顔がぐしゃぐしゃ(3回目)=不出来な子供への怒り(と同時に餌付けをすることで従属だけはキープしたい、使い倒してやるという表れ?)


と考えられます。
 2回目の対応が一番キツいような気がしますし、公園で偶然出会った六花が「手作り弁当」を渡そうとした点は「コンビニ弁当」で済ませようとしたアカネとの対比を感じさせます。

 アンチは食事の作法を知らないため、箸を使わず手と口で思うがままに頬張るのですが、食事中の口周りはべっとりとソースで汚れています。
そのソースがまた、赤いんですよね……(前回のアカネのトマトジュースと同じく、「血」を意識して彩色されているように思います)

 敵性生物を喰らい、返り血で我が身を汚す獣……そのようなメタファーを感じます。
弁当をぶつけられるシーンでも同様に食材や赤いソース(血)で顔を汚し、見えない目元から頬へ雫が伝っています(アンチが流した涙か、雨の雫か)。
 1度目と比べると一目瞭然で、赤いソース(血)や食材は親(アカネ)から受ける虐待、子供(アンチ)は反抗せずに唯々諾々とその環境を受け入れるしかない、心は涙を流しても……とそういった暗喩を感じたくなる絵の作りでした。

181021 18;41;48 うるるんロギー 「SSSS.GRIDMAN」 第3話 熱き合 003
181021 18;41;48 うるるんロギー 「SSSS.GRIDMAN」 第3話 熱き合 053



 
 そして次も六花との対比からなのですが、彼女は裕太からの着信を拒否します。
 その直後、アンチは自分の携帯電話に送られてきたアカネの着信を受け取り、すぐさま怪獣の姿へと変身します。

 グリッドマン同盟側の対話はスムーズに進まない、それは一人一人が違う個人の集合体だからです。故に衝突し、絆も危うくなる。しかし、助け合うことが出来ます。
 しかし、アカネとアンチの「親子関係」は一方的でしかなく、母に呼び出されたら、従順な小犬のように付き従う。たとえ呼ばれなくても、母の命令を待ち続ける…アンチ自身も母親としてのアカネを既に拒絶できない状態にあると推察できます。
 それは生まれて間もないし、他に行く当てがない異形だからというのもありますが、「怪獣」という記号についての受け止め方からも窺えます。


(以下ファミレスでのやりとり)
「俺も怪獣なのか?」
「うん、怪獣。一緒に朝ご飯を食べてくれる怪獣」


(以下戦闘でのやりとり)

「お前は、人間なのか?」
「人間……?ふざけるな、俺は怪獣だ!」


 グリッドマンに対する反応は、アカネから与えてもらった「怪獣」という記号・称号に自分のアイデンティティーや誇りを委ねているのではないでしょうか?
 しかし、与えた張本人であるアカネが"意のままに動く可愛い駒"以上の価値を認めているようには思えないんですよね。
 特撮版の武史との類似性から「女武史」とネット界隈で呼ばれているアカネですが、孤独を敷いた家庭環境で荒んでしまった武史、からの、愛せない存在を身勝手で生み出し酷使する親となってしまったアカネ、という構図は「アップデート」とも言えます。



 グリッドマンを倒すために生み出された"怪獣"に待ち受けるのは抱擁か、破滅か……見守っていきたい所存です。



 配信されている今回のボイスドラマは、アニメの根幹に迫る部分はそれほど多くないかな、って気がしますが、1.1回のようなリアルJKトーク、その生々しさで胸焼けしそうに……。
 強気で上から目線の女子集団には言われるがまま、ってちょっと分かる気がしますね……(笑)
 いやーにしても、このボイスドラマ、宝田家のセレブリティ感を引っ張りますよね。





 若干モヤモヤとして残る、というか気になってしょうがないのが、アンチに構う六花が裕太からの連絡を受け取らなかったことに意味があるのか、それとも女子高生の日常的な感覚による気まぐれだったのか。
 六花は記憶喪失前の裕太について何かしら知っているという伏線が張られているので前者が濃厚のように思えるのですが、理屈で説明できない(面倒くさい、とも言えます)高校生たちの心情に軸足を置いた作品性を考えると後者の線も捨てきれませんね。





 次回も乞う、ご期待!