偶然か、はたまたヒーロー作品の節目を飾る必然だったのか。
映画「仮面ライダー 平成ジェネレーションズFOREVER」の本予告映像が公開されましたが、なんとその内容は「番組としての平成ライダー」と「応援し続けた視聴者」というメタフィクション要素が取り入れられているようです。
今回取り扱うガイア劇場版、あるいは以前感想を執筆したプリキュアオールスターズメモリーズと類似しているような……と思ったのは私だけでしょうか?
一時代を築き上げてきたコンテンツの節目を「応援し続けてきた人々」と共に迎え入れるストーリーは得難い感動を与えてくれるはずだと個人的に思っていますが……さて、平成ライダーは描く節目はどのように彩られるのか、今から楽しみです。
今回配信された第2章は、勉の世界に現れた我夢が勉たちと交流していく中で「自分がこの世界で放送されている特撮のキャラクターと同一人物」であること、赤い玉に秘められた謎を知り、章タイトルにある通り「パラレルワールド」の真実を知るお話となっています。
事前に収集した赤い玉の記憶データによって、我夢が失った平行世界での記憶を呼び覚ます決定打というファインプレイは科学者ウルトラマンなればこそと言えるでしょうし、そもそも「別世界への転移」という状況自体を疑ってもおかしくない場面で冷静に考証を積み重ねて真実を導き出した冷静さも彼らしいですよね(知的好奇心とも言えるかもです)。
また少年少女たちにも見せ場があり、
より強力な怪獣を作り出す妄執に捉われ赤い玉を奪取した浩たち、
願いが叶って満足する一方、自信が持てない自分の拠り所となってくれるであろう我夢との別離を恐れる勉、
我夢の「人は分かり合える」という言葉に「本当にそう思う?」と意味深な反応を見せ、更に浩と交渉し玉を返してもらうことを「無理だよ」と諦めた勉に"最初に玉を使って願いを叶えた責任"を投げかけるリサ、
と伏線、それぞれの心の内が窺い知れる描写がふんだんに描かれています。いやー情報量が濃い。
特に対話を無理と決めつけた姿勢と一番最初に始めた責任を糾弾するリサの論点の突き方は、年頃を考えるとやや意外に思えますが、最後まで見ると納得が出来るんですよね。
また、「ウルトラマンガイアの我夢」と広く知られているため子供たちに追い回されるコミカルさからの「国籍不明戦闘機の搭乗者」として警察に包囲されるシリアスへの転調も目を見張るものがありました。ファンタジーをそのまま受け入れる子供達と現実の危機へと置き換えて対処する大人の違いが見て取れます。
ここからは気になった2点を考察していきたいと思います。
まず一つ目ですが、こちらは最初に結果を言いましょう。
この映画を初めて見た時からずっとそうではないか?と考えているのですが、
「我夢と勉はパラレルワールドの同一人物ではないか?」
ということです。
3章・4章の感想でも恐らく触れる部分ではありますが、今回の2章・ガリバー旅行記について語る中で自分が根拠と考えている場面が出てきます。
パラレルワールドについて、我夢は
「自分とは違う自分が世界がいくつも同時に存在するって考えさ」と解説します。
説明として単にそのように述べただけ、とも取れますが、こう言っている以上「時空移動した我夢と同一人物にあたる存在が劇中に存在している」との推測も成り立つのではないか?という気がし、これが自分にとっての発想のきっかけです。
また我夢と勉には共通項があり、
・同じガリバー旅行記を愛読している。
・好きなものに対する熱意は強い。
・運動や勉強が苦手で、なおかつ「まだウルトラマンなんて見てるの?」と言ってくる周囲が息苦しくい勉=天才であるため、少年時代はいじめられていた我夢。
・対を為す存在が身近にいる(藤宮・浩)
と、差異がある部分は世界の違いから来る誤差の範囲と思えば、なかなか似た人物と言ってもいい気がします。
で、あるとするならば「ヒーローであるもう一人の自分に憧れた少年の物語」という角度で観ることも出来……更なる味わいで映画を楽しめるのではないか?と考えます。
しかし、この点については結局映画内では特に言及されることはなかったわけですが……今度出版される後日談の小説にて、何らかの回収があるのかもしれないと諦め悪く期待しております(笑)。
もう一つは願いを叶える「赤い玉のルーツ」に関して。
我夢と接した赤い玉自信が語った所によると、
「心に思い描いたことを全て現実にするため別次元の人間によって造られた、物質文明の最終到達点」であり、際限無き人の欲望はいずれ世界の破滅を招く、それをずっと見続けてきたため「私は造られるべきではなかった」と自身の存在価値を全否定します。
これは今回の視聴、というよりウルトラマンダイナの視聴後だったから気づけたのですが、これはダイナのラスボスにして、夢願う人の前進を忘れなかったネオフロンティアの宿敵ともいえる「グランスフィア」にルーツを持つ存在だったのではないか?と思えてなりません。
本作がウルトラマンダイナのメインライターである長谷川圭一さんの脚本ということも当然、勘案していますが……。
ダイナで語られたグランスフィアの真実は以下の、グランスフィアが劇中で述べた台詞通りです。
「人類よ、そのもの達の中へと同化せよ。そのもの達もかつて、おまえ達と同じ様な人間であった」
「限りある命におびえ、互いに争い、ついには自らの星をも破滅への危機へと追いやった」
「だが彼等は克服したのだ。人を、あらゆる有機物、無機物を、ついには惑星自体も一つに融合し完成させた、完全無欠の生命体。それが私だ。まだ間に合う。地球が滅び去るその前に、私はおまえ達を迎え入れよう」
「私こそ地球の歩むべき、未来だ!」
命を喪う、破滅の危機を回避するために「個」という在り方を否定し、全生命・物質の融合という進化を突き詰めた存在。
それがグランスフィアの正体です。
赤い玉は「願望を叶えるため」、グランスフィアは「滅びを乗り越えるため」とベクトルが異なりますが、ピークに達した人のテクノロジーが禁断の領域へと足を踏み入れ、違う価値観を持つ・未来への可能性を秘めている「個の人間」という存在方法を否定するシステムとなってしまったという点では酷似しています。
技術発展の行き着く先は唯物論を象徴したシステムであり、その先に待つのは文明の破滅…そんな警鐘のメッセージが見て取れます。
(余談ですが、更にこの系譜を継いでいくがウルトラマンコスモスのカオスヘッダーではないかな?と考えます)。
こう思い始めたきっかけは、「赤い玉が女性の声で喋る」という光景でグランスフィア及びスフィア球体も「そう言えば、女性の声で喋ってたよな」と思い出したところから始まっていまして……考えすぎですかね?
しかし「人は分かり合える」「願いから見える人の醜悪さと勇気」といった本作のテーマは、ウルトラマンダイナと通ずる点が少なからず……いえ、それを言い始めるとティガのテーマも内包されていると言えますから、やはり平成ウルトラ三部作の集大成と言える映画なのだと堂々と語りたい……。
折り返し地点を迎えて更に面白くなるであろう来週からの配信が楽しみです。
次回も乞う、ご期待!
映画「仮面ライダー 平成ジェネレーションズFOREVER」の本予告映像が公開されましたが、なんとその内容は「番組としての平成ライダー」と「応援し続けた視聴者」というメタフィクション要素が取り入れられているようです。
今回取り扱うガイア劇場版、あるいは以前感想を執筆したプリキュアオールスターズメモリーズと類似しているような……と思ったのは私だけでしょうか?
一時代を築き上げてきたコンテンツの節目を「応援し続けてきた人々」と共に迎え入れるストーリーは得難い感動を与えてくれるはずだと個人的に思っていますが……さて、平成ライダーは描く節目はどのように彩られるのか、今から楽しみです。
今回配信された第2章は、勉の世界に現れた我夢が勉たちと交流していく中で「自分がこの世界で放送されている特撮のキャラクターと同一人物」であること、赤い玉に秘められた謎を知り、章タイトルにある通り「パラレルワールド」の真実を知るお話となっています。
事前に収集した赤い玉の記憶データによって、我夢が失った平行世界での記憶を呼び覚ます決定打というファインプレイは科学者ウルトラマンなればこそと言えるでしょうし、そもそも「別世界への転移」という状況自体を疑ってもおかしくない場面で冷静に考証を積み重ねて真実を導き出した冷静さも彼らしいですよね(知的好奇心とも言えるかもです)。
また少年少女たちにも見せ場があり、
より強力な怪獣を作り出す妄執に捉われ赤い玉を奪取した浩たち、
願いが叶って満足する一方、自信が持てない自分の拠り所となってくれるであろう我夢との別離を恐れる勉、
我夢の「人は分かり合える」という言葉に「本当にそう思う?」と意味深な反応を見せ、更に浩と交渉し玉を返してもらうことを「無理だよ」と諦めた勉に"最初に玉を使って願いを叶えた責任"を投げかけるリサ、
と伏線、それぞれの心の内が窺い知れる描写がふんだんに描かれています。いやー情報量が濃い。
特に対話を無理と決めつけた姿勢と一番最初に始めた責任を糾弾するリサの論点の突き方は、年頃を考えるとやや意外に思えますが、最後まで見ると納得が出来るんですよね。
また、「ウルトラマンガイアの我夢」と広く知られているため子供たちに追い回されるコミカルさからの「国籍不明戦闘機の搭乗者」として警察に包囲されるシリアスへの転調も目を見張るものがありました。ファンタジーをそのまま受け入れる子供達と現実の危機へと置き換えて対処する大人の違いが見て取れます。
ここからは気になった2点を考察していきたいと思います。
まず一つ目ですが、こちらは最初に結果を言いましょう。
この映画を初めて見た時からずっとそうではないか?と考えているのですが、
「我夢と勉はパラレルワールドの同一人物ではないか?」
ということです。
3章・4章の感想でも恐らく触れる部分ではありますが、今回の2章・ガリバー旅行記について語る中で自分が根拠と考えている場面が出てきます。
パラレルワールドについて、我夢は
「自分とは違う自分が世界がいくつも同時に存在するって考えさ」と解説します。
説明として単にそのように述べただけ、とも取れますが、こう言っている以上「時空移動した我夢と同一人物にあたる存在が劇中に存在している」との推測も成り立つのではないか?という気がし、これが自分にとっての発想のきっかけです。
また我夢と勉には共通項があり、
・同じガリバー旅行記を愛読している。
・好きなものに対する熱意は強い。
・運動や勉強が苦手で、なおかつ「まだウルトラマンなんて見てるの?」と言ってくる周囲が息苦しくい勉=天才であるため、少年時代はいじめられていた我夢。
・対を為す存在が身近にいる(藤宮・浩)
と、差異がある部分は世界の違いから来る誤差の範囲と思えば、なかなか似た人物と言ってもいい気がします。
で、あるとするならば「ヒーローであるもう一人の自分に憧れた少年の物語」という角度で観ることも出来……更なる味わいで映画を楽しめるのではないか?と考えます。
しかし、この点については結局映画内では特に言及されることはなかったわけですが……今度出版される後日談の小説にて、何らかの回収があるのかもしれないと諦め悪く期待しております(笑)。
もう一つは願いを叶える「赤い玉のルーツ」に関して。
我夢と接した赤い玉自信が語った所によると、
「心に思い描いたことを全て現実にするため別次元の人間によって造られた、物質文明の最終到達点」であり、際限無き人の欲望はいずれ世界の破滅を招く、それをずっと見続けてきたため「私は造られるべきではなかった」と自身の存在価値を全否定します。
これは今回の視聴、というよりウルトラマンダイナの視聴後だったから気づけたのですが、これはダイナのラスボスにして、夢願う人の前進を忘れなかったネオフロンティアの宿敵ともいえる「グランスフィア」にルーツを持つ存在だったのではないか?と思えてなりません。
本作がウルトラマンダイナのメインライターである長谷川圭一さんの脚本ということも当然、勘案していますが……。
ダイナで語られたグランスフィアの真実は以下の、グランスフィアが劇中で述べた台詞通りです。
「人類よ、そのもの達の中へと同化せよ。そのもの達もかつて、おまえ達と同じ様な人間であった」
「限りある命におびえ、互いに争い、ついには自らの星をも破滅への危機へと追いやった」
「だが彼等は克服したのだ。人を、あらゆる有機物、無機物を、ついには惑星自体も一つに融合し完成させた、完全無欠の生命体。それが私だ。まだ間に合う。地球が滅び去るその前に、私はおまえ達を迎え入れよう」
「私こそ地球の歩むべき、未来だ!」
命を喪う、破滅の危機を回避するために「個」という在り方を否定し、全生命・物質の融合という進化を突き詰めた存在。
それがグランスフィアの正体です。
赤い玉は「願望を叶えるため」、グランスフィアは「滅びを乗り越えるため」とベクトルが異なりますが、ピークに達した人のテクノロジーが禁断の領域へと足を踏み入れ、違う価値観を持つ・未来への可能性を秘めている「個の人間」という存在方法を否定するシステムとなってしまったという点では酷似しています。
技術発展の行き着く先は唯物論を象徴したシステムであり、その先に待つのは文明の破滅…そんな警鐘のメッセージが見て取れます。
(余談ですが、更にこの系譜を継いでいくがウルトラマンコスモスのカオスヘッダーではないかな?と考えます)。
こう思い始めたきっかけは、「赤い玉が女性の声で喋る」という光景でグランスフィア及びスフィア球体も「そう言えば、女性の声で喋ってたよな」と思い出したところから始まっていまして……考えすぎですかね?
しかし「人は分かり合える」「願いから見える人の醜悪さと勇気」といった本作のテーマは、ウルトラマンダイナと通ずる点が少なからず……いえ、それを言い始めるとティガのテーマも内包されていると言えますから、やはり平成ウルトラ三部作の集大成と言える映画なのだと堂々と語りたい……。
折り返し地点を迎えて更に面白くなるであろう来週からの配信が楽しみです。
次回も乞う、ご期待!